どーも、サンディです!

学校の現場で子どもたちと向き合っていても、家庭で二児の父として過ごしていても、ふとした瞬間に自分の胸に問いかけることがあります。

「自分は今、大切な時間を、本当に価値のあるものに使えているだろうか?」

将来への不安、老後の備え、万が一のための蓄え。大人として未来を計算し、リスクに備えることはもちろん大切です。でも、私たちは「いつかやってくる未来」のために、「二度と戻らない今」という時間を犠牲にしすぎてはいないでしょうか。

今回、私は前々から自分の中で温めていた『DIE WITH ZERO(ゼロで死ぬ)』という生き方の哲学を、思い切って自分の人生で実践してみました。


4世代(祖母、父母、私たち夫婦、子ども2人)家族全員を連れて行った、沖縄への旅です。

結論から言います。

心から「やってよかった」と、胸を張って言えます。

そして、「これこそが、大人が大切な人に贈るべき最高のプレゼントなんじゃないか」と思いました。

完璧な計画はいらない。「思い出」をプレゼントするという覚悟

祖母、親、自分、子ども。多世代が集まる旅行というのは、リアルな話をすれば一筋縄ではいきません。

世代が違えば、行きたい場所も、食べたいものも、体力の限度も違います。気を遣い合う場面も出てくるでしょう。全員が納得する完璧なスケジューリングなんて、最初から不可能なのです。

さらに、大人数での旅行となれば、当然それなりの費用がかかります。

「もう少しお金に余裕ができてからにしようか」

「今はまだ貯め時だから」

そうやって理由をつけて先送りにすることは、いくらでもできました。

けれど、親が元気に歩ける時間も、子どもが親と一緒に旅を楽しんでくれる時間も、人生という長い時間軸の中で見れば、本当にほんの一瞬しか存在しません。

お金は、あとから増やせるかもしれない。

でも、「今の家族で過ごせる時間」は、あとから買い戻すことができません。

だからこそ、今回の旅では私が費用を負担し、家族に「沖縄旅行」という体験そのものをプレゼントすることに決めたのです。

沖縄で過ごした時間は、特別な「イベント」の連続というよりは、愛おしい「空気感」の連続でした。

みんなで並んで眺めた、吸い込まれそうなほど青い沖縄の海。

巨大なジンベエザメが頭上をゆったりと泳ぎ去る姿を、世代を超えて一緒に見上げたときの息をのむ瞬間。

地元の居酒屋ライブに飛び込み、沖縄の音楽に耳を傾けながら、みんなで笑顔でお酒を酌み交わした夜。

アグー豚のしゃぶしゃぶを囲み、「美味しいね」と言い合いながら、たわいもない話で笑い合った食卓。

世代の違いによる好みのズレや、ちょっとした気遣いすらも、その場に漂う温かい空気の中に溶けていきました。

家族の笑顔を見たとき、私の中で固く結ばれていた何かが、ふっとほどけていく感覚がありました。

大人が手放すべき「コントロール」と「貯金箱への執着」

私たちがこの旅で手に入れたものは、形のある「モノ」ではありません。

形はないけれど、誰にも奪うことのできない「思い出」です。

教育や子育ての現場でもよく感じることですが、私たち大人はつい「相手をコントロールしよう」としてしまいます。

「せっかく連れてきたのだから満足させなければならない」

「全員を楽しませる完璧な旅行にしなければならない」

でも、よく考えてみれば、これも大人側の思い込みなのかもしれません。

アドラー心理学でいう「課題の分離」と同じで、相手がどう感じるかは相手の課題です。

大人ができるのは、相手を思い通りに楽しませることではなく、素晴らしい体験の場を用意し、同じ時間と空間をありのままに共有すること。

それで十分なんだと思います。

そして、もう一つ。

今回私が家族の旅行費用を負担したことは、単なる「お金を使った」という話ではありません。

「銀行口座の数字」という概念上の存在を、「自分と家族の心に刻まれる一生モノの体験」へと変換したということです。

『DIE WITH ZERO』の中に、「記憶の配当(メモリー・ディビデンド)」という非常に本質的な考え方が出てきます。

お金は使えば、その分だけ残高が減ります。

でも、素晴らしい思い出は違います。

一度作った思い出は、その場で終わりません。

「あのとき楽しかったよね」

「あそこでこんなことあったよね」

そうやって何度も思い返すたびに、僕たちの心に小さな幸せを返してくれます。

これが「記憶の配当」です。

あの居酒屋ライブで聴いた三線の音色。

アグー豚を囲みながら笑い合った家族の顔。

ジンベエザメを見上げた子どもたちのキラキラした目。

これらはこれから先、僕たちが日常の忙しさに飲み込まれそうになったときや、壁にぶつかったときにも、ふと心の中に戻ってくるのでしょう。

そう考えると、これはもう立派な「資産」です。

しかも、誰にも奪われない資産です。

大人が本当に手放すべきなのは、「貯金箱の残高が減ることへの過度な恐怖」であり、「家族を完璧にエスコートしようとする力み」なのかもしれません。

将来に備えることは大切です。

貯金だって、もちろん必要です。

でも、貯めることそのものが目的になってしまって、「今しか買えない時間」まで見送ってしまったら、それも少し違う気がします。

何より大切にしたいのは、大人も子どもも「今、この瞬間を心から面白がり、生きていてよかったと感じる時間」なのだと思います。

命の時間を、愛する人との「記憶」に変え切る

「使えるお金があるのに、使うべき時間を逃したまま人生を終える」。

私は、それこそが一番もったいないと思うようになりました。

最後に墓場まで持っていけるのは、銀行口座の残高でも、立派な肩書でもなく、生きてきた中でどれだけ心震える瞬間を重ねられたかという「記憶」だけです。

今回の沖縄旅行を通じて、私はそれを身をもって実感しました。

誰かのために、そして自分自身のために、「思い出をプレゼントする」という決断。

この経験ができたこと自体が、私の人生にとって代えがたい財産です。

人は誰しも、成長の途中にあります。

親も、教師も、子どもも、誰もが完璧ではないまま、手探りで「今」という時間を生きています。

だからこそ、完璧な親である必要も、完璧な旅行である必要もありません。

不器用でもいいから、大切な人と顔を合わせて笑い合い、

「生きているって、本当にいいな」

と思える瞬間を、ひとつでも多く人生に刻み込んでいく。

お金は、そのためにも使える。

未来を守るためだけではなく、「今を生きるため」にも使える。

家族と囲んだあの温かい食卓の記憶を胸に抱き締めながら、私はこれからも、今というかけがえのない時間を全力で買い占めていきたいと思います。