子どもが本気になる話し合いを目指して〜お問い合わせから気づいた「問い」の大切さ〜
どーも、サンディです!
先日、ブログを読んでくださった方から、一通のメールをいただきました。とても温かな内容で、ブログへの共感とともに、授業スタイルの一例として素敵な実践を紹介してくださったのです。
発信に対して反応していただけると、私自身にも大きな学びが生まれます。いつもコメントや反応をくださる皆さん、本当にありがとうございます。
そのメールの内容が、私が日々の授業で抱えていたモヤモヤと見事に重なり、自分自身の教育観を深く見つめ直すきっかけになりました。
「先生がいないのに授業が始まっている」
メールに書かれていたのは、授業の司会進行を子どもたちが担う実践のことでした。慣れるまでは指導が必要だけれど、いったん子どもに任せると、教師が教室に入る前からすでに授業が始まっているというのです。
「子どもって、ここまで主体的になれるのか!」と、読みながら思わず声が出ました。
ここ最近、私の普段の授業を振り返ると「教師対子ども」のやり取りが多いのではないか、子どもたちが授業の本当の主役になりきれていないのでは……というモヤモヤを抱えていました。
理想は、奈良女子大附属小で見たあの光景
メールを読んだ瞬間、鮮明に蘇ってきた記憶があります。以前、自主的に授業を見に行かせていただいた奈良女子大学附属小学校の授業です。
子どもたちが自分たちで司会進行を務め、自分の言葉で対話をつなぎ、互いに深め合っていた——まさにメールの内容そのままの光景でした。
あの時は「私立だからできることかな」「先輩の先生たちもやっていないし…」と、なんとなく諦めてしまっていました。でも今回のメールで、公立の学校でも実践できると知り、「本気で取り入れてみるべきかもしれない」と考えました。
小手先の仕組みより、大切なのは「問い作り」
では、どうすればあのような授業に近づけるのか。
最初は「発言の型を黒板に貼ろうかな」とか「グループの役割カードを作ろうかな」など、形から入ろうとしていました。もちろん、それも大事ですが、よくよく考えてみると、それは違うと気づいたんです。
子どもたちが本当に必要としているのは、大人があらかじめ用意した道具ではありません。困ったときに教師がさりげなく入る自然なサポートと、そしてもう一つ、決定的に大切なもの——それが「問いづくり」です。
「正解が一つではない問い」が熱狂を生む
すでに答えが分かりきっている話し合いでは、子どもたちは本気になりません。当然です、わかってることを話し合っても面白くないですもんね。
でも、授業の内容がじわじわと子どもたちの中に入り込んできたとき、「あれ、これってどういうこと?」「ねえ、これ絶対おかしくない?」と、内側から疑問が湧き上がってくる瞬間があります。
その「正解が一つではない問い」が生まれた瞬間こそ、話し合いが最も深まり、盛り上がるチャンスです。教師がその問いを見逃さず、「よし、みんなで考えよう!」と火をつけられるかどうか——そこが授業の肝だと、最近強く感じています。
でも、これが本当に難しい。
実際にやってみると分かるのですが、子どもたちが司会を進めると、話し合いはあっちへ行ったりこっちへ行ったり。「どこに向かっているんだっけ?」となりがちです。そこで教師が慌てて引き取ってしまうと、せっかくの主体性がしぼんでしまう。かといって放置すれば、ただ散漫な時間になってしまう。
だから教師は、手綱を握りながら手放す、という矛盾した技術が必要になるんですよね(笑)。
「この問いで、この学びに向かわせたい」という地図を、教師がしっかり頭の中に持っていること。そして、子ども自身が「これ、知りたい!」と思えるような問いを一緒につくっていくこと。
この2本柱——教師の準備と、子どもが学びたいと思う問いづくり——がしっかりしていれば、子どもが自分たちで進める授業の土台ができたといっても過言ではないと思っています。逆に言えば、問いがしっかりしていれば、あとは子どもが勝手に動いてくれる。そのくらい問いは大事で、そのくらい難しい。
まだまだ試行錯誤中ですが、子どもたちが進める授業づくりを続けていきたいと思います。また気づいたことがあれば、発信していきます。

