どーも、サンディです!

「どうせ自分なんて、このくらいの実力だから」

日々の仕事や子育て、あるいは趣味の場で、そんな風に自分の可能性に「高をくくって」しまう瞬間はありませんか?

「周りのレベルが高いから」
「もう若くないから」
「これまでの実績がこうだから」

私たちは気づかないうちに、もっともらしい言い訳を見つけては、自分の限界を自分で決めてしまいがちです。

実は先日、私が所属している草野球チームで、大会の決勝戦がありました。結果は、本当に悔しいことに敗戦。

決勝まで残れたことは素晴らしいことのはずなのに、私の胸に突き刺さっていたのは、負けた事実そのものよりも、「自分自身に対して、どこか諦めてしまっていた弱さ」でした。

今日は、私がその決勝戦のマウンドで直面した激しい後悔と、そこから得た「これからの人生を、自分の足で切り開いていくための心の持ち方」について、包み隠さずお話ししたいと思います。

故障を言い訳に、戦う前から「線」を引いていた自分

私はその試合、肩の故障を抱えていました。

もちろん、マウンドに上がる以上は全力で投げるつもりでしたし、チームを勝たせたいという思いに嘘はありません。しかし、心のどこかでこんな声が聞こえていたのも事実です。

「肩が100%の状態じゃないから、打たれても仕方ない」
「相手は強いチームだし、自分の今の実力ならここまでできれば十分だろう」

そうやって、無意識のうちに自分の限界に線を引いていたのです。

結果として、途中から登板したものの、本来の力を発揮しきれずにチームに貢献することができませんでした。試合後、込み上げてきたのは、ただの「悔しさ」ではありませんでした。

「なぜ、もっと自分を信じて、相手をねじ伏せるくらいの心意気でぶつかれなかったんだろう」

という、自分自身への怒りと後悔でした。

相手が強いからといって、自分の力を低く見積もっていた。自分が傷つかないように、最初から「ここまで」と諦める言い訳を用意していた。

その中途半端なマインドこそが、結果を遠ざけていたのだと、痛感したのです。

「人生のあらゆる分野」で、同じことをしていませんか?

この悔しさは、決して草野球だけの話ではありません。私たちは人生のあらゆる場面で、同じように自分を過小評価してしまうことがあります。

仕事での新しいプロジェクト、SNSやブログでの発信、あるいは子どもとの向き合い方。

「自分なんて、こんなもんだから」
「あの人に比べて才能がないから」
「時間がないから、これくらいでいいや」

そうやって、まだやれる可能性が残っているのに、自らシャッターを閉めてしまう。結果として、自分の持っている本当の能力値よりも、ずっと低いところで満足したふりをしている。

確かに、プロの世界で活躍するような人たちとは、これまでの練習量も、環境も、持って生まれた才能も違うかもしれません。

でも、「今の自分が持っている可能性を、100%信じて使い切る」ということに関しては、年齢も環境も関係ないはずです。

プロ野球選手になることは難しくても、草野球の自チームを勝たせる絶対的な選手になることは、今の自分からでも絶対にできる。それなのに、挑戦する前から「どうせ」と諦めてしまうのは、あまりにももったいないと思いませんか?

強い想いがなければ、現実の「結果」は変わらない

アドラー心理学では、人間は「過去のデータ(原因)」によって生きているのではなく、「これからどうしたいかという目的」に向かって生きていると考えます。

「結果が出ないから、自信が持てない」

私たちはついそう考えてしまいますが、実は順番が逆なのかもしれません。

「自信がない自分と思えば、結果が出ないのが当たり前」
→だから、可能性の中に生きられる。自信満々ばっちりの自分は結果を出せるのだ

「絶対にチームを勝たせるんだ」
「自分はまだまだ、こんなもんじゃない。もっとできるんだ」

という強い想いと覚悟を先に持つからこそ、日々の取り組みが変わり、練習の質が変わり、最終的な「結果」が変わってくるのです。

自分を信じる心のタガを外さない限り、現実は1ミリも動きません。まずは自分自身が、自分の可能性の一番の味方になってあげる必要があります。

大人になると、失敗したときの恥ずかしさや、傷つくことへの恐怖から、どうしてもスマートに立ち回ろうとしてしまいます。でも、泥臭くてもいいから「もっと上を目指したい」「自分を試したい」という気持ちを全面に出して生きる方が、圧倒的に格好いいし、何より楽しいはずです。

完璧じゃなくていい。ただ、後悔しない人生を歩むために

私は、子どもたちを育てる教員として、そして二人の父親として、常々「失敗には価値がある」「完璧じゃなくていい」と発信してきました。

その想いは今も変わりません。

だからこそ、大人である私たち自身が、失敗を恐れて打席に立つのをやめたり、最初から力を抜いて三振したりするような姿を見せてはいけないな、と思うのです。

私たちが本当に恐れるべきなのは、失敗することではありません。「やれる可能性があったのに、自分を信じきれずに途中で諦めてしまった」という後悔を残すことです。

人生は一度きり。
自分の限界を自分で決めて、小さくまとまって生きるには、人生はあまりにも短すぎます。

私自身、今回の件で深く反省しました。
これからは草野球でも、仕事でも、このnoteの発信でも、「自分なんてこのくらい」という枠を一切取り払います。どんなに強い相手や高い壁が目の前に現れても、「やってやろうじゃないか」という心意気を持って、自分の可能性を引き出し続けたいと思います。

明日からできる、小さな一歩

もしあなたが今、何かの分野で「自分なんて……」と弱気になっているなら、明日から次のアクションを試してみてください。

「今の自分は、100点満点中何点?」という問いを一度やめる。

点数で自分を評価しようとすると、どうしても「過去の失敗」や「他人の目」が気になってしまいます。

そうではなく、「まだ引き出せていない自分の可能性は、どこにあるだろう?」と、未来に目を向けてみてください。

「もっとやれる」「まだまだ、こんなもんじゃない」

そう自分に声をかけるだけで、明日からの行動がほんの少し変わります。

自分の人生の限界を決める権利を持っているのは、他人でも環境でもなく、あなた自身だけです。

その後悔のない挑戦のプロセスを、子どもたちは、そして周りの人はしっかりと見ています。

私も、次の試合では必ずリベンジします。皆さんも、自分の「心の線」を消し去って、もう一歩先へ踏み出してみませんか?

皆さんのあたたかい挑戦を、いつも応援しています!