教員だからこそ、親として不信感を覚えた。子どものトラブル対応で見えた、学校と家庭の「本当の信頼関係」
どーも、サンディです!
「学校で、お子さんが友達にパンチやキックをしてしまったようです」
もし、こんな連絡が突然届いたら。あなたはどうしますか。
驚きと焦り。
そして「相手のお子さんは大丈夫だろうか」「これからどう対応すればいいんだろう」という不安で、頭の中はいっぱいになるはずです。
前回の記事では、小学1年生の息子が起こしたこのトラブルについて、家庭でどう向き合い、どんな約束を結んだかをお話ししました。我が子と真っ直ぐ向き合えたことで、親子の対話としては一つの節目を迎えることができました。
ですが、このトラブルにはもう一つの側面があります。
一人の保護者として、そして同じ小学校教員として、学校側の対応に強い違和感を抱いた出来事でした。
今回は、現役教員であり二児の父親でもある私が、仕事を早退して学校に足を運び、担任の先生に直接伝えた「本音」を、リアルな葛藤とともにお話しします。
繋がらない連絡、空白の夜。同じ教員として抱いた強い違和感
事の始まりは、トラブル当日の午後2時ごろ。
学校から妻のスマホに、1本の着信が入りました。
仕事中で出られなかった妻が、休憩時間の夕方3時ごろに慌てて折り返したときには、担任の先生はすでに「地域の研修」に出発した後。連絡はつきませんでした。
教員の勤務時間は、夕方4時45分まで。
その仕組みを痛いほど知っている私は、「今日はもうつながらないかもしれない。でも、きっと何か手段を講じてくれるはず」と信じて、その夜を過ごしました。
しかし、待てども待てども、学校からの連絡は一切ありませんでした。
息子は「ボールの取り合いで、喧嘩をした。蹴られたから蹴り返した」という話と足にある傷跡。どういうことか分からないまま一夜を過ごしました。
同じ教員として、今の教育現場が「働き方改革」を進めていることは百も承知です。
勤務時間を過ぎたら退勤する、それ自体を否定する気は全くありません。
ですが、「子どもが友達を殴った、蹴った」という案件は、学校現場において重いトラブルです。
もし私が担任なら、どんなに時間が過ぎていても、その日のうちに必ず一本の電話を入れます。そうでなくとも、アプリの連絡網など使えるツールはありますから、とにかく親御さんに経緯を説明しないとならないという思いに駆られます。
教員という仕事は、親御さんにとっての「一番大切な子ども」をお預かりしている仕事だからです。
その子どもに傷がついた、あるいは傷つけてしまったという事実がある以上、何よりも優先して報告する義務が、学校の監督責任としてあると私は考えています。
「連絡がつかなかったから」「研修だったから」「だからそのまま直帰する」
システムとしては正しい。
でも、そこにあるはずの「教育者としての責任」や「親の不安に寄り添う誠実さ」が、すっぽり抜け落ちているように思えました。
私の中に、最初の不信感が芽生えた瞬間でした。
「2時以降に」と約束したはずなのに
翌朝、ようやく担任の先生から電話があったものの、息子が家で話していた内容と、先生が把握している状況には、いくつかの食い違いがありました。息子の足にある傷の理由も、先生の話とは一致しません。
納得がいかなかった妻は、「もう一度、丁寧に息子から話を聞いて、事実を確かめてほしい」と冷静にお願いしました。
仕事の段取りを調整し、連絡帳にもこう書き添えました。
「私(妻)は仕事で出られませんが、父親は、2時以降であればいつでも電話に出られるようにしておきます。報告をお待ちしています」
後に確認したら、先生からの返事の書き込みもあり、確認は取れているはず。
私は約束の2時に合わせて自分の仕事をあらかた片付け、スマホを横目に待っていました。
2時10分。
2時30分。
2時50分……。
1時間が経っても、学校からの連絡は一向にありません。
時計の針が進むたびに、焦燥感と苛立ちが込み上げてきました。
「いつまで待たせるんだ」「こちらの時間は、学校にとってどうでもいいものなのか」
堪りかねて、3時過ぎにこちらから学校へ電話をかけました。
しかし、担任の先生は「職員室に不在」とのこと。
しばらくして、ようやく折り返しの電話がかかってきました。
その電話で、ようやく事実関係の報告を受けました。
結果は、相手の足が偶然当たったことを息子が「攻撃された」と誤解し、カッとなって手を出してしまったということ。息子側の非が重いという事実でした。
それ自体は真摯に受け止め、すぐにでも相手の親御さんに謝罪しなければ。
と思いました。しかし、
「相手の親御さんには、昨日のうちに連絡がついてお話ししてあります」
とのこと。
相手の親御さんは、前日のうちに「うちの子がパンチやキックをされた」という事実を知っている。
それなのに、加害者側である我が家からの謝罪の連絡は、学校側の対応が遅れたせいで、丸1日遅れてしまっている。
相手の親御さんに、そんな不信感や不快な思いを抱かせてしまっていたかもしれない。
学校の初期対応の遅れと、翌日の約束のルーズさのせいで、私たちが被害者側に対して尽くすべき「誠意」のスタートラインすら、奪われてしまったと感じました。
仕事を早退し、先生に直接伝えた「2つのこと」
その電話ではまだ息子の主張と食い違ったり、足のけがの説明が十分に理解できなかったりしたので、学童に迎えに行き、息子にその真意を確かめた上で、先生と直接お会いし、確認しようと思いました。
そう決めた私は、仕事をやりくりして早退し、学校へ向かいました。
息子が起こしたトラブルに対し、学校が間に入って対応してくれたこと。
そのこと自体には、一人の親として心から感謝しています。
ですが、その後の「親への対応」「家庭への対応」が残念と感じたため、私は担任の先生に、直接2つのことを伝えました。
①「殴る・蹴る」という案件の重さと、学校の報告責任について
「保護者として、子どもが友達にパンチやキックをしたという事実は、非常に重く捉えています。先生方に勤務時間があること、出張や研修で忙しいことは、私も同じ教員ですから重々承知しています。
ですが、これが起こったのは学校の監督責任です。極端な話、学校がきちんと見ていれば起こらなかったかもしれないトラブルでもある。毎日、外で全員を完璧に見ることなんてできないのは分かっていますし、それは仕方のないことです。
だからこそ、報告は早くにほしかった。私たちは何もわからないことに不安でしたし、ましてや相手側には連絡がついているという状況ですから。今後の息子たちのことを考えると、私たちも早くに相手側の親御さんに対応する必要があると思っています。どんな内容でも、その日のうちに一言だけでも学校から報告をいただけていれば、私たちもありがたかったです」
②約束の時間に対する誠実さについて
「連絡帳に書いた通り、私は2日目の2時以降、仕事をしながらも連絡を待っていました。
焦燥感を抱えながら待っていたにもかかわらず連絡がなく、最終的にこちらから電話をしなければならなかったというのは、いかがなものでしょうか。学校から連絡が来るものだと思って待っていただけに、非常に残念ですし、誠実な対応だとは感じられませんでした」
私の言葉に対して、先生からは「申し訳ございません」と言われましたが
正直なところ、その返答から心からの反省や誠意を感じることはできませんでした。
こちらが不満を漏らしたその瞬間だけ、その場を収めるために出た言葉のように響いてしまった。
それが、一人の保護者としてのリアルな、そしてとても残念な印象でした。
相手が許してくれたのは「結果論」。学校が守るべき責任とは
学校で連絡先をいただいた後、私たちはすぐに相手の親御さんへ電話をしました。
幸いにも、相手の方は本当に温かい方で、「全然、気にしないでください」と快く謝罪を受け入れてくださいました。
受話器を置いたとき、張り詰めていた糸が切れ、ホッと胸をなでおろしました。
ただ、優しく許してもらえたのは、あくまで結果論でしかありません。
もし、相手の親御さんが「なぜ加害者側なのに、丸1日も連絡がなかったのか」と深く傷つき、不信感を募らせていたら、どうなっていたでしょうか。
一歩間違えれば、親同士の大きな確執や、子どもたちの関係修復にまで影を落とすトラブルに発展していたかもしれません。
保護者にそんな不安な思いをさせないこと。
そして、加害者側・被害者側の双方が誠実に対応できる「場と時間」を担保すること。
それこそが、学校の果たすべき責任のはずです。
今回の出来事を通して、私は同じ教員として、「子どもを預かる、その責任の重さ」を心の底から再認識しました。
親にとって、子どもは「世界一大切な存在」です。
その宝物を預かっているという自覚があるなら、トラブルが起きたとき、どれほど慎重に、どれほどスピード感を持って対応しなければならないか。
私が普段、自分のクラスで児童トラブルが起きたとき、必ず「申し訳ございません」と真っ先に伝える理由。
その本当の意味が、今回、親の立場になったことで痛烈に理解できました。
それは、自分の非を認めるだけの謝罪ではありません。
「学校という、子どもたちを見ておくべき立場の場所で、親御さんに心配をかけ、不安にさせてしまったこと」に対する、心からの申し訳なさ。
その視点を持つことこそが、教育者として最も大切な「誠実さ」なのだと、身をもって学びました。
完璧な学校なんてない。だからこそ親が持つべき「フラットな視点」
今回の担任の先生は、まだ若い先生でした。これからたくさんの経験を積んで、学んでいく途中にあります。
私も、先生との関係を悪くしたいわけでは決してありません。できることなら、こんな耳の痛いことは伝えたくなかったのが本音です。
それでも一意を決して言葉をぶつけたのは、一人の親としての切実な願いであり、同時に同じ道を歩む仲間として「今後、先生が教壇に立ち続ける上で、どうしても気づいてほしい本質」だったからです。
私の言葉が、少しでも心に響いてくれたら。
今は静かにそう願っています。
今回の経験を通して、私は一人の親として、学校という組織に失望と残念な気持ちを抱きました。
と同時に、同じ教員として「明日は我が身だ。忙しさを言い訳にせず、親御さんをこんな気持ちにさせてはいけない」と、強く身が引き締まる思いでした。
学校も、先生も、完璧ではありません。
特に今の教育現場は、過酷な労働環境の中で、日々多くのトラブルや業務に追われています。
今回のように、連絡の優先順位を見誤ったり、引き継ぎがうまくいかなかったり、約束の時間に遅れてしまったりする「ミス」や「キャパシティの限界」は、どこの学校でも起こり得ることです。
だからこそ、学校を「何でも完璧にやってくれる場所」として神格化したり、逆に「どうせ何もしてくれない」と敵対視したりするのをやめるべきです。
大切なのは、学校と「フラットな関係」を築くこと。
親の側から主導権を持って我が子を守り、トラブルに対応していく姿勢が必要なのだと、痛感しました。
家庭と学校は、どちらが上でも下でもありません。
子どもの成長を真ん中に置いて、共に支え合う「対等なパートナー」であるべきです。
今回の経験を糧に、「教員」と「保護者」の両側の立場として、真摯に向き合っていくことを大事にしていきたいと思います。

