「勉強ができる=暗記が得意」ではない。子どもに本当に育てたい“賢さ”とは

どーも、サンディです!

学校現場にいると、今でも根強く残っている「ある思い込み」に出会うことがあります。それは、「勉強ができる=たくさん覚えられる」という考え方です。

テストで良い点数を取るために、教科書の内容をどれだけ正確に覚えているか。漢字を何個書けるか。用語をどれだけ知っているか。公式をどれだけ覚えているか。

もちろん、知識は大切です。何も知らない状態では、考えることだってできません。

でも、「たくさん覚えていること」そのものが、賢さなのでしょうか。

僕は、そうではないと思っています。

テストの点数や記憶力だけで「賢さ」を測るような学力観のままでは、子どもたちも、そして周りの大人たちも、どんどん息苦しくなってしまう。

今回は、子どもたちの夏休みの自由研究の発表を見て感じたことから、「好き」を追究して学ぶことの価値、そして子どもたちに本当に育てたい「賢さ」とは何かについて書いてみたいと思います。

知識は必要。でも、「覚えること」がゴールではない

まず最初に言っておきたいのは、僕は、暗記や知識が必要ないと言いたいわけではありません。

漢字を覚える。九九を覚える。歴史上の人物を知る。言葉の意味を知る。こうした知識は、考えるための大切な材料です。知っていることが増えれば、見える世界も広がります。

だから、知識を身につけること自体は、とても大切です。

ただ、問題なのは、「どれだけ覚えたか」だけで勉強の出来不出来を決めてしまうことだと思っています。

「テストの点数を上げるために、とにかく暗記しなさい」

もし学習がそこだけに向かってしまえば、それはいつの間にか「記憶力の勝負」になってしまいます。暗記が得意な子は評価され、暗記が苦手な子は「自分は頭が悪いんだ」「勉強ってつまらない」と思ってしまう。

でも、本当に賢さって、そこだけでしょうか。

「知っている」より、「知識をどう使うか」

今は、分からないことがあればすぐに調べられる時代です。辞書もある。本もある。インターネットもある。生成AIだってある。

もちろん、だから「何も覚えなくていい」という話ではありません。

むしろ、知識を持っているからこそ、「これっておかしくない?」「別の考え方もあるんじゃない?」「前に知ったこととつながっているかも」と考えることができます。

大事なのは、知識を持っていることだけではなく、その知識をどう使うか。

分からないことに出会ったときに、「なんでだろう?」と問いを持てる。自分なりに予想する。調べる。人の話を聞く。試してみる。うまくいかなければ、また考える。

そうやって試行錯誤しながら、自分なりの答えに近づいていく。僕は、そういう姿こそ「賢さ」だと思っています。

自由研究の発表を見て、あらためて思ったこと

夏休み明け、子どもたちが自由研究を発表していました。

自分の好きなことを調べた子。実際にやってみた子。何度も試して、うまくいかなかった理由まで考えていた子。

その発表を聞いていて、あらためて思ったんです。

子どもって、「好き」が見つかると、こんなにも勝手に学ぶんだな。

先生に「ここを覚えなさい」と言われたわけでもない。テストに出るわけでもない。それでも、自分が気になったことなら調べるし、考えるし、試すし、人に伝えようとする。

そこには、僕が子どもたちに身につけてほしいと思っている「学ぶ姿」が、たくさん詰まっていました。

子どもは、ほっといても勝手に学ぶ

では、大人は何をすればいいのでしょうか。

僕は、大人が全部教え込もうとしなくてもいいと思っています。なぜなら、子どもは本来、自分から学ぶ存在だからです。

公園で見つけた虫をずっと観察する。好きなゲームのキャラクターを驚くほど覚える。電車が好きな子が、駅名や路線をどんどん覚えていく。折り紙が好きな子が、難しい作品の折り方を何度も試す。

誰かに「テストに出るから覚えなさい」と言われたわけではありません。ただ、「知りたい」「やってみたい」「できるようになりたい」という気持ちがあるから、自分から学んでいく。

子どもって、本来そういうものなんだと思います。

ところが大人が、「そんなことより勉強しなさい」「それ、何の役に立つの?」「テストに出ないでしょ?」と学びの範囲を狭めてしまう。

すると、せっかく動き出していた子どもの好奇心にブレーキがかかってしまいます。大人が学びをコントロールしすぎるほど、子どもは受け身になっていく。これは、学校でも家庭でも起こり得ることです。

「何を学ぶか」以上に、「学びたい」が大事

もちろん、学校では学ばなければならない内容があります。「全部好きなことだけやればいい」というわけではありません。

でも、だからこそ大切なのは、子どもの「学びたい」という感覚を失わせないことだと思っています。

「なぜだろう」「もっと知りたい」「試してみたい」。そんな気持ちが残っている子は、必要になったときに自分から学べます。

反対に、「勉強とは言われたことを覚えるもの」「間違えないことが大事」「正解を当てればいい」という感覚だけが残ってしまうと、自分から問いを持つことが難しくなってしまう。

僕たち大人が子どもに渡したいのは、たくさんの正解だけではなく、自分で学び続けられる力なのではないでしょうか。

大人の最大の役割は「安心させてあげること」

子どもが自分から学び、好きなことに夢中になっていくために、大人ができること。

僕は、その中でも特に大切なのが、「安心させてあげること」だと思っています。

「それ、面白そうだね」「もっとやってみたら?」「失敗しても大丈夫だよ」「そんなことに興味を持つんだね」

そうやって、自分の興味や考えを否定されない環境がある。それだけで、子どもは安心して自分の世界を広げていけます。

逆に、大人がいつも不安そうにしていると、「そんなことやっていて大丈夫?」「将来役に立つの?」「勉強しなくていいの?」と、子どもも自分の興味に自信を持てなくなってしまいます。

子どもが何かに真剣に取り組んでいるとき。たとえそれが学校の勉強と直接関係なくても、大人から見れば一見無駄に思えることでも、一言、

「へえ、面白いことしてるじゃん!」

と言ってみる。

それだけでいいんじゃないかと思うんです。

夢中になった経験は、ちゃんと残る

子どもが夢中になったことは、決して無駄にはなりません。

好きなことに集中した経験。うまくいかなくて工夫した経験。何度も試して、やっとできた経験。分からないことを自分で調べた経験。

そうした中で、考える力、集中する力、試行錯誤する力、諦めずに続ける力、人に聞く力、自分なりに工夫する力が育っていきます。

しかも、そうした力は「これを身につけなさい」と言われて身につくものではありません。

何かに夢中になった経験の中で、いつの間にか育っていくものなのだと思います。

「ありのままの姿」をおもしろがろう

子どもの教育や成長を考えるとき、僕が大切にしたい言葉があります。それは、「ありのままの姿をおもしろがる」ということです。

大人はどうしても、「もっとこうなってほしい」「もう少し勉強してほしい」「普通はこれくらいできるはず」と、理想の姿を子どもに重ねてしまいます。僕自身、親としても教師としても、そうなってしまうことがあります。

でも、そこで一度、「今、この子は何に興味を持っているんだろう」と見てみる。

「こんなところにこだわるんだ」「こんなことをずっと考えてるんだ」「そこが気になるんだ。面白いな」

そんなふうに、目の前の子どもの姿をおもしろがってみる。すると、「できる・できない」だけでは見えなかった、その子の世界が見えてきます。

大人の役割は、その世界を無理に変えることではなく、少しだけ広げる手助けをすることなのかもしれません。

興味を持ちそうな本を置いてみる。実際に体験できる場所へ行ってみる。「こんなのもあるよ」とそっと紹介してみる。そして、あとは子どもに任せる。

それくらいの距離感が、案外ちょうどいいのだと思います。

子どもに手渡したい「賢さ」

「賢い子」と聞いたとき、テストで100点を取る子。たくさんのことを覚えている子。すぐに正解を答えられる子。そんな姿を思い浮かべることもあるかもしれません。

でも僕は、

分からないことを「分からない」と言える子。
「なんで?」と問いを持てる子。
自分で調べ、考え、試せる子。
失敗しても、またやってみようと思える子。

そんな子も、間違いなく「賢い子」だと思っています。

知識は大切。記憶することも必要。でも、それだけではない。

知識を使って考え、自分なりの問いを持ち、試行錯誤しながら世界を広げていく。それこそが、僕たちが子どもたちに手渡したい「賢さ」なのではないでしょうか。

だからこそ、大人がまず、記憶力やテストの点数だけで子どもを見る世界から抜け出していきたい。

目の前の子どもの姿をおもしろがる。夢中になっていることを邪魔しない。安心して失敗できる場所をつくる。

そして、「あなたはあなたのままで、いろんなことを学んでいいんだよ」というメッセージを送り続ける。

そんな環境から、子どもの本当の「賢さ」は育っていくのだと思います。

ありのままの姿を、おもしろがろう。

以上、サンディでした!

【参考文献】

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