『えらいね』をやめた日。親をやめて、仲間になる子どもとの向き合い方
「すごっ!」「上手!」「えらいね」の3パターン男
私は、テキトーな奴でして、学校でもよく子どもに「聞いてないでしょ!(笑)」と言われます。 ちゃんと聞いてるのに!!(嘘)
そんな私が、子どもの「見てみて」に連発していたのが「すごっ!」「いいね!」「やるじゃん」「素敵!」でございます。…我ながらテキトーだな。
わが子に対しては「すごっ!」「上手!」「えらいじゃん」の3パターンをひたすら繰り返していました。 これはダメだな、と思い始めた今日この頃。
学校ではできているのに、なぜ家では?
学校では、本音で話せるんですよ。自分は学校の子どもたちに気を遣うなんてことはしない。本当にすごいなら「すごっ!」って言うし、大したことないなら「まだまだできるでしょ!」と言う。
あんまり先生らしく振る舞いたくないんですよ。授業中はもちろんやりますけど、普段は友達みたくありたい。常に”交友の関係”でいたいのが本音。だから、ありのままの自分で接しています。
でもわが子の方が難しいんですよね。なぜか「すべて肯定的に返さなきゃ」と思ってしまう。 挙句の果てに「えらいね」なんて言っちゃって、後から「何様だよ」と思うわけです。
心にもないほめ言葉を伝えても、響かない。自分も言いながら違和感がある。 こりゃあいかんと思って、始めたことがあります。
「ほめる」をやめて、「ありがとう」にした
それが**「助かったよ」「ありがとう」と伝えること**です。
これが自分にはよかった。
子どもに「見てみて」と言われたら「見せてくれてありがとう」と答える。いいことをしてくれたら「助かったよ」と答える。これらは全部、本音。違和感がない。上下関係もない。
親だから、年上だから、先生だからといって、ほめ言葉を多用したくないんです。 そもそも直感として、上から目線でほめられるってうれしくなくないですか?
私がひねくれてるんですかね。ほめられるよりも「ありがとう」の方がよっぽどうれしい。「やってよかったな」って思えるじゃないですか。
子どもの反応は?
あまり劇的には変わっていません。ただ一つ言えるのは、あからさまな”ほめられ待ち”の行動がなくなったこと。
よくありませんか?実家で片づけをしたら、みんなにほめられて得意げになって、さらに頑張る子どもの姿。私はあの姿にも違和感を感じるんです。
ほめられるための行動って、その場限りじゃないですか。真に認めたいのは**「本当に人の役に立ちたいと思う心」**。だからやっぱり、「ありがとう」と「助かったよ」の方がいいと思うんです。
「すごいでしょ?」「見てみて」に対しても、「ここまで頑張ったの見せてくれてうれしいわ、ありがとう」と返す。あるいは質問して返す。否定せず、安易にほめず、頑張りを認めて、自分の感情を伝える。そんな感じです。
評価者じゃなく、仲間として
具体的には、こんな感じで言葉を変えました。
片付けをしてくれた時 「えらいね」→「部屋がスッキリして気持ちいい。ありがとう」
妹の面倒を見た時 「お兄ちゃんだね」→「助かったよ、おかげで準備が早く終わったよ」 (「お兄ちゃんだから」って役割を押しつける言い方も、あんまり使いたくないんですよね)
評価者(ジャッジ)ではなく、共に暮らす仲間として子どもを見られるようになったことがうれしいです。
いい親でいようとするのをやめ、等身大の自分で感謝を伝える心地よさ。 教育的な”正解”よりも、家庭内の**「風通しの良さ」**の方が大切だという気づきが、自分にはありました。
皆さんも、ちょっとした声かけを意識するだけで、自分の心にまっすぐな言葉が出てくるかもしれません。 試してみてくださいね!

